No.3 一粒の米の重さ

「一粒の米の重さはどれくらいだと思うか」

ある時、お釈迦さまは弟子の阿難尊者にお尋ねになりました。

 

「お米は小さいものでございますから、とても軽いものと考えます」と阿難尊者が答えると、

「その重さは須弥山よりも重いものである」とお釈迦さまは仰せになりました。須弥山というのは、仏教の世界観で宇宙の中心をなす巨大な山のことで、16万由旬(1由旬=約7㎞)もの高さがあります。

 

もしも、現代に生きる私たちが同じように尋ねられたら、どのように答えるでしょうか。お米は一粒だけ秤にかけても針はほとんど動きません。お金に換算したとしても、大金になるわけではありません。ですから、阿難尊者のお答えは、合理的な見方としては間違いではないように思えます。

 

しかし、お釈迦さまは「須弥山よりも重い」と仰いました。それは、いまこの一粒を秤にかけた重さでは知り得ず、この一粒が出来るまでに何があるのかを見るべきだからです。

 

太陽や水、土に風と自然の恵みを受け、世話をされて養われ、大切に運ばれる。そしてそもそもその苗は、以前から脈々と繋がってきたものがあってはじめて存在する。無数の恩恵の中で、今、こうして手元に一粒がある。その重さは、量り知ることのできない広大無辺なものであり、その御恩を忘れてはいけない、というお諭しなのです。

 

人も物も、同じです。今目の前にあることは、全てその背景に無数の因果と恩恵があります。現代に生きる私たちこと、お釈迦さまの教えを心に留め、お陰様の日々を頂きましょう。

 

 

※この「読む法話」は、過去に東本願寺報に掲載された『わたしたちのぶっきょう』を再校正したものです。