No.6 親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ
蓮如上人と親交の深い、一休禅師の逸話として伝えられているお話しです。
むかし裕福な商人が、孫が生まれたお祝いに、家宝にするから、何かめでたい言葉を書いてほしい、と一休さんに頼みました。
しかし、「喜んで書きましょう」と一休さんが書いたのは「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」でした。
それを見た商人は、顔を真っ赤にして怒ります。
「私は、めでたい言葉と言ってお願いしたのに、死ぬ死ぬ死ぬとは何事ですか!」
しかし、一休禅師は淡々と、
「なるほど、ではなにか、お前のところでは、孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬの方がめでたいのかな」と答えました。
商人はますます怒り帰ろうとしますが、一休さんが呼び止めてこう続けました。
「お前さんにはこの言葉のめでたさが分からんようだな。年寄りのあんたより先に、せっかく生まれた孫が不治の病にでもなったらどうする?代わってやりたいと嘆いても代われんだろう?」
年老いたものから順番どおりに死ぬ。これはとても難しく、実は希有なことなのです。もし自分の家族が年齢の順に亡くなったとすれば、それは家族みんなが長生きをして後に生まれた者が先に生まれた者を見送ることができた、祖父母や親が子や孫を亡くす苦しみを味わうことがなかったということです。
しかし、現実はそうはいきません。時代を問わず、自分の子や孫、自分より若き者が、ある日突然命を落とすことは、毎日どこかで必ず起きています。順番なんて、本当は最初からなく、こちらの都合や願望で決めているだけなのです。
家族や最愛の人を失う辛さや悲しみは、いつか必ず誰しもが味わうものです。そして、生まれたものが死ぬことは、絶対に避けられません。
私たちは「生」も「死」も与えられている身です。死は人の生の終わりであり、その先の生があります。だからこそ、私たちはお念仏を称え、お浄土に生まれる道を望んでいるのです。
何の保証も根拠もなく、希有でめでたきことを当たり前だと思っていると、いつしか周りには苦を感じるものばかりになっているかもしれません。