関東における歴史

光瑞寺開創

1591年、教如上人は江戸神田に江戸御坊光瑞寺を開創。江戸における本願寺の録所(教務所・出張所)となる。一説には1603年の開創ともいわれる。
1609年、同じ神田域内で更に広い土地へ移転。俗に「神田明神下」といわれる場所がそれであるが、神田明神は1616年に同所へ移転したので、正確には神田筋違橋外というべきか。
1614年教如上人遷化後、光瑞寺は掛所(別院)となる。
補足:1621年、江戸浅草御堂(築地本願寺)が創建。この頃から東西分立が本格化。1622〜24年、本願寺末刹・輪番所となる。

浅草へ移転

神田明神下においては、慶長16年(1612)、寛永9年(1632)、そして明暦3年(1657)と、度々火災に見舞われた。特に明暦の大火により、江戸市中ことごとく焼失、死者10万人以上。この頃、東本願寺は14世琢如上人の時代。
明暦の大火以後、幕府は「築地か浅草か好きな方を選べ」とし、東本願寺は浅草を選び堂宇を建立。浅草本願寺時代が始まる。ちなみに江戸浅草御坊は築地へ移転し現在に至る。

大正時代から昭和へ

大正12年9月1日、関東大震災が発生。地震には耐えたが、火災で焼失。
昭和9年11月26日、定礎式を挙行し、本堂再建が始まる。
コンクリート杭を480本打ち込んで基礎を造り、昭和11年には闡如上人御親修のもと、上棟式が行われ、同14年に遷仏法要が厳修された。しかし、第二次大戦末期の昭和20年3月、空襲により被災し、本堂内部は全焼したが、外郭は鉄筋コンクリートのため残った。

東京本願寺へ改称

昭和40年04月、宗祖700回御遠忌が厳修され、同年5月に浅草本願寺の名称を東京本願寺に変更する認証が下りた。翌年、大谷光暢法主のご長男、大谷光紹師が住職に就任した。
昭和48年5月3〜5日 立教開宗750年、親鸞聖人御誕生800年慶讃法要
昭和56年6月15日 大谷派との包括関係を廃止
昭和63年2月29日 東本願寺派結成 25世興如上人、法統伝承を宣言
平成05年4月13日 24世闡如上人遷化

浄土真宗東本願寺派本山東本願寺へ改称

平成10年 蓮如上人500回御遠忌を厳修
平成11年12月24日 25世興如上人遷化
平成13年04月26日 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の名称が文化庁より認証される
平成13年06月01日 第26世聞如上人傳燈式・奉告法要が厳修され、現在に至る